■ はじめに:優しい言葉のはずなのに、なぜ不安を呼ぶのか
“ホームタウン”という言葉を聞いて、あなたはどんなイメージを持ちますか?
懐かしい風景、育った町、大切な人たち――そんな温かい感覚を思い浮かべる方も多いかもしれません。
けれど最近、その言葉が少し違う文脈で使われる中で、「えっ、それってちょっと怖くない?」という声が上がる場面もありました。
日本とアフリカ諸国の間で進められている“ホームタウン認定”という取り組み。それは本来、国際的な交流や学び合いを目的としたものでした。
ところが、ある日突然「自分の住む町が、他の国の“ホームタウン”にされた」と耳にした人たちの中には、戸惑いや不安を感じた方もいたようです。
この記事では、そうした言葉の受け止められ方に耳を傾けながら、実際に現場で起きた反応や、関係者の声をもとに、なるべく丁寧にこのテーマを見つめていきたいと思います。
■ 背景:「アフリカ・ホームタウン認定」ってどんな制度?
この制度は、JICA(国際協力機構)や外務省などが中心となり、日本のいくつかの地方自治体とアフリカ諸国の都市との間で、交流や協力のきっかけを作ることを目的としています。
具体的には:
- 学生や技術者の受け入れ・派遣
- 地域の企業とアフリカとのビジネス交流
- 文化や伝統を紹介し合う催し など
つまり「この町とあの国の都市が、ちょっとした国際的な“ご近所さん”になりましょう」というような内容です。
ところがこの制度名に使われていた「ホームタウン」という表現が、想定外の形で受け取られてしまう出来事が起こりました。
■ 実際にあった出来事:心配の声と説明のすれ違い
ある自治体では、ホームタウン認定に関する報道をきっかけに、
- 「移民が大量に来るのでは」
- 「地元の文化や暮らしが変わってしまうのでは」
- 「自分たちの意見を聞かれずに決められてしまった」
といった声が市役所に数多く寄せられました。
市長や担当職員は会見を開き、「これは移民政策ではありません」「地域活性化や国際理解の一環です」と丁寧に説明しましたが、それでも不安のすべてがすぐに消えるわけではありませんでした。
こうした反応を見て感じるのは、政策の中身そのものというより、“言葉の響き”が先に感情を動かしてしまったということです。
■ 別の現実:ここにいたはずの子どもが、突然いなくなるということ
少し別の角度から、ある事例を紹介させてください。
入管行政の一部として、日本で仮放免中だった外国籍の家族が、ある日突然送還されるという出来事がありました。
その中には、長年日本で暮らしてきた子どもたちも含まれていました。
彼らは日本語しか話せず、日本の学校に通い、友達と過ごしていた日々がありました。
なのに「今日でさようなら」と言われ、ふるさとのように感じていた場所を離れなければならなかったのです。
一人の先生はこう話します:
「目の前で子どもが無言になっていくのを見たとき、本当に胸が痛かった。何かを説明できる言葉すら、私たちにはなかった。」
この現実は、ある意味で「ここを自分の場所だと思っていた人が、“そこにいられない”と告げられる痛み」を示しています。
先ほどの“ホームタウンにされる不安”とは、立場が違うけれど、どこかで通じるところがあるようにも思えます。
■ 「ホームタウン」がどうして不安につながったのか
“ホームタウン”という言葉は、本来とてもポジティブな響きをもっています。
でも、その言葉が誰かの生活やまちに「一方的にかぶせられたように感じられた」とき、そこに違和感が生まれることがあります。
たとえば、「ここをあなたたちのホームタウンにしました」と言われたとき、
言った側は「仲良くなりたい」「一緒に盛り上げたい」と思っていても、
聞いた側は「いつ、誰が決めたの?」と驚いたり、少し戸惑ったりすることもあるのです。
■ 日本のまちに流れる“静かな共有感”
日本では「このまちは私たちのものだ!」と声高に主張する人は少ないかもしれません。
でも、そのかわりに、「なんとなくここに自分がいていいと思える空気」をとても大事にしているように思います。
- いつもの商店街のにぎわい
- お祭りで顔を合わせるご近所さん
- 子どもが育つ風景と、静かに続く時間
そうした「空気のような日常」が、“外から意味をつけられる”ことで、壊れてしまうのではないかという漠然とした不安――
それが今回のような反応につながっているのかもしれません。
■ 行政と住民のあいだにある「言葉の温度差」
今回の制度をすすめた行政側は、
- 「これは移民政策ではありません」
- 「文化交流の入り口にすぎません」
- 「住民生活への直接的な影響はありません」
と、丁寧に説明しているのですが、その言葉が届きにくいこともありました。
なぜなら、制度として正確であっても、生活者の“心”に寄り添っていなければ、安心にはつながらないからです。
「ホームタウン」と聞いて思い浮かべるものが違えば、言葉の意味そのものがすれ違ってしまいます。
■ 小さな工夫で、伝わり方は変わるかもしれない
言葉の選び方や、伝え方の工夫だけでも、もしかしたら今回のような不安は少し和らげられたかもしれません。
たとえば:
| 言い方の例 | 伝わり方 |
|---|---|
| 「この町がアフリカのホームタウンになります」 | 勝手に決められたように感じる人も |
| 「この町とアフリカの都市が、交流を深めていく予定です」 | 対等な関係として伝わる可能性がある |
| 「市民の皆さんと一緒に、国際交流の未来を考えたいです」 | 意見を聞いてくれるという印象が残る |
ほんの少しの言い回しの違いで、印象は大きく変わることがあります。
これは、政治や国際政策に限らず、日々の人間関係にも通じることかもしれませんね。
■ 最後に:不安の声も、好意の言葉も、どちらも大切に
「ホームタウン」という言葉は、人を温かくすることもあれば、予期せぬすれ違いを生むこともあります。
大切なのは、どちらかの気持ちだけを正しいと決めつけるのではなく、それぞれの背景や感じ方を、まずは知ろうとすることだと思います。
誰かが「怖い」と感じたとき、
「それは誤解です」と言うよりも、
「そう感じたんですね」と受け止める――
その一言が、対話の始まりになるかもしれません。
そして、たがいの故郷を傷つけずに出会える言葉を、これからもっと一緒に探していけたら。
そんな願いを込めて、この記事を締めくくります。
🔗 参考・出典リンク
🔗 “ホームタウンにされる”という恐怖──言葉と感情のすれ違い(Mochi Extend / now)
🔗 「東京がエジプト人を受け入れる」は本当か?覚書の中身と誤解の背景をわかりやすく解説(Mochi Extend / now)
🔗 日本が乗っ取られる!移民で埋め尽くされるのでは?《アフリカ『ホームタウン』騒動》を加速させた“真犯人”は誰だ?(東洋経済オンライン)
🔗 木更津市「移民受け入れは事実無根」問い合わせ相次ぎ否定(沖縄タイムス)
🔗 “未来を奪われる危機” 仮放免の子どもたちが語る不安(S News Commons)