▷この記事でお伝えすること
- 「24時間テレビ」はなぜ24時間やるのか、そのそもそもの意味
- 続けることで得られるもの、そして失うもの
- 実際に起きた視聴率低迷と大改革の話
- マラソン・感動・涙…その“決まりごと”は必要なのか?
- 後編では:視聴者としての違和感や、今後のあり方を一緒に考えていきます
夏になると、なんとなくつけてしまうあの番組
毎年、夏の終わりにやってくる『24時間テレビ 愛は地球を救う』。
「またこの季節か」と思いながら、
気づけば家族でちょっと見入っていたり、
タレントのマラソンのゴールに「がんばったなあ…」とつぶやいていたり。
でも、こんなふうに思ったことはないでしょうか?
「なんで“24時間”やる必要があるんだろう?」
「どうしてこんなに毎年ずっと続けてるの?」
この番組の背景には、意外と知られていない“やめられない理由”があるのです。
はじまりは、ひとつの「想い」からだった
1978年、最初の24時間テレビが放送されたとき、
番組のテーマは「寝たきり老人におふろを! 身障児にバスを!」でした。
当時、福祉やバリアフリーの意識が今ほど強くなかった時代。
番組は初めて、全国ネットで**“社会的に弱い立場の人たち”への支援を呼びかける”生放送”**を始めたのです。
結果は、想像以上。
- 募金額:約11億9000万円(当時)
- 視聴率:番組内で最も高い部類に
- 世の中の「福祉意識」を少しだけ前に進めた
テレビでここまでできるのか、という驚きと感動が、はじまりの“火”でした。
(出典:PRESIDENT Online)
それから「やめられない番組」になった理由
24時間テレビの制作者たちは、はじめは「1回きり」のつもりだったそうです。
でも、あまりに大きな反響があったことで、日テレにとっては…
- 社会貢献の“顔”になる
- 視聴率も取れる
- スポンサーもつく
- 国民の信頼も集める
というように、“いろんな意味で特別な番組”になってしまいました。
そのため、「やめられない」ではなく「やめるとまずい」番組になったというのが現実です。
「最低視聴率」から救ったのは、あの曲とマラソン
1991年、そんな24時間テレビにも大きな壁が立ちはだかります。
視聴率が歴代最低を記録し、「このまま終わるかもしれない…」という空気に。
そこで翌1992年、番組に新しい風を吹き込んだのが、
- ダウンタウンの出演
- その場で作られた主題歌『サライ』
- 芸能人がマラソンに挑戦する企画
この「涙あり・音楽あり・挑戦あり」の演出が視聴者の心をつかみ、
翌年から再び高視聴率に回復。以降、現在まで続く“感動の型”がこの時に完成したと言われています。
(出典:PRESIDENT Online)
それでも、ちゃんと“数字”は出ている
近年では、「やらせっぽい」「感動ポルノでは?」といった批判も増えてきましたが、
それでも視聴率や募金は、いまだに一定の成果を上げています。
- 2023年、番組終盤には瞬間最高視聴率が20%超
- 募金額は10億円を超える年もあり
- SNS時代でも「リアルな生放送感」に価値を感じる人は少なくない
特に、社会で何かつらいことがあったとき(震災、災害、コロナ禍など)、
**「誰かの挑戦や優しさを見ることで前向きになれる」**という気持ちが、視聴者の中に確かにあるのかもしれません。
(出典:東洋経済オンライン)
とはいえ、“違和感”を抱く声も確かにある
noteや個人ブログなどでは、こんな声も見かけます。
「毎年、同じ構成で“感動を強要されてる”感じがしてつらい」
「マラソンが過酷すぎて、熱中症が心配になる」
「応援したい気持ちはあるけど、見ていて疲れてしまう」
こうした声の多くは、番組そのものを否定するのではなく、
**「変わるべきタイミングに来ているんじゃないか」**という前向きな疑問なのです。
(出典:note/domin7)
▶︎ 1. 感動は「押しつけ」? それとも「共感のかたち」?
「また泣かせにきてる」
「毎年同じ構成で、感動の押し売りに感じる」
そんな言葉が、SNSやブログではちらほら見かけられます。
たしかに、“障がいのある方の挑戦”や“手紙で涙する家族”、そして“ゴール直前のマラソン走者”など、毎年似た演出が繰り返されています。
けれど、私たちは本当に「感動させられている」だけでしょうか?
たとえば、ある年のマラソンで、ゴール直前に転んでも立ち上がった姿に励まされた。
あるいは、全盲の少年がピアノを弾ききったとき、思わず涙した。
そういった記憶は、単なる演出ではなく、“一人ひとりが感じた等身大の共感”だったはずです。
つまり、「感動を作る側」と「受け取る側」の距離感が大事であって、
感情そのものを否定する必要はないのではないでしょうか。
▶︎ 2. チャリティー文化は“特別”なままでいいの?
番組では、「募金をお願いします」と何度も呼びかけられます。
会場には長蛇の列、街角でも黄色いTシャツを着た人が募金箱を持っています。
ただ、その光景を見て、
「寄付って、年に1回“特別な行為”にしちゃっていいのかな?」
「もっと日常的に支援できる仕組みがあるんじゃないか?」
という疑問も浮かびます。
実際、海外ではSNSやネットを通じて、日常的に寄付ができる文化が進んでいます。
「Giving Tuesday(寄付火曜日)」や「Red Nose Day」のように、オンラインで広がる活動もあります。
日本でもそういった仕組みが育てば、**「24時間テレビに頼らない寄付文化」**ができるかもしれません。
そのとき、番組は“チャリティーのすべて”ではなく、“きっかけのひとつ”として位置づけられるのではないでしょうか。
▶︎ 3. 「変わらないこと」の安心感と「変わること」への勇気
24時間テレビが続いてきた背景には、
「変わらないことで、安心できる人がいる」
「夏の終わりに“帰ってくる”場所のような存在」
…そんな一面もあります。
ただ同時に、変化しないことが「感動の形を固定化してしまう」リスクにもつながります。
- 涙を誘うフォーマットに頼りすぎていないか?
- 本当にその演出は今の時代に合っているのか?
- 見る人の多様性に応えられているのか?
そう考えたとき、「続けるなら、少しずつでも変えていく勇気」が必要なのかもしれません。
テレビだからこそできること。
でも、テレビだけに頼らないあり方も模索してほしい。
そんなふうに、私たち“受け取る側”も少しずつ目を開き始めているように感じます。
✔ まとめ:あなたにとって「24時間テレビ」はどんな存在ですか?
- 「毎年泣いてしまう」
- 「正直、少し疲れる」
- 「でも、つい見ちゃう」
- 「社会のために何かしたいと思えるきっかけになる」
いろんな声があって当然です。
大事なのは、「自分にとってどんな意味があるのか」を考えてみること。
24時間テレビは、今後もきっと変わらずに続くでしょう。
でも、変えるかどうかを決めるのは、作る側だけじゃなく、
私たち視聴者の“感じ方”と“選び方”次第なのかもしれません。
🔍 出典・参考
- PRESIDENT Online(戸部田誠・菅原正豊)
- 東洋経済オンライン(西山守准教授)
- note投稿「24時間テレビがしんどい」
- domin7「マラソンを中止できない理由」
- Wikipedia「24時間テレビ」