■ はじめに:ある夏の日、SNSで起きたざわめき
2025年の甲子園──沖縄尚学高校の応援団が伝統芸能「チョンダラー」に扮して踊ったシーンが、SNSで一気に拡散されました。
顔を白く塗り、琉球風の衣装をまとって躍動する姿。
けれど、目立ちすぎたその存在に、高野連が「公序良俗に反する可能性がある」として注意を出したことで、一気に「文化か、ルール違反か」の炎上騒動へと発展。
X(旧Twitter)では「文化を否定するのか?」「高校生にこんな配慮させるの?」と感情的な投稿が相次ぎました。
■ チョンダラーって、そもそも何?
チョンダラーとは、沖縄の伝統行事「エイサー」で登場する“道化役”のこと。
- 顔を白塗りにして
- 派手な衣装を身にまとい
- ユーモアを交えて観客を沸かせる
その姿だけを見れば「おどけたピエロ」のように映るかもしれません。
でも実は、彼らには深い歴史と役割があるのです。
🌿 ルーツは「念仏者(ニンブチャー)」から
起源をさかのぼると、チョンダラーは中世・近世の「門付け芸人(もんつけげいにん)」にたどり着きます。
これは、本土から沖縄へ渡ってきた「念仏回り」の芸能者たちが、村々を回って供養や演芸を行っていたことに由来します(遠藤美奈・沖縄県立芸術大学論文より)。
つまり、チョンダラーの祖先は“ただの道化”ではなく、宗教的行事と地域芸能をつなぐ存在だったのです。
■ 現代エイサーにおけるチョンダラーの本当の役割
沖縄のエイサーイベントでは、チョンダラーは単なる盛り上げ役にとどまりません。
具体的な役割:
- 行列を誘導し、演者の安全を守る
- 暑さや疲労で演者が倒れそうなとき、代わりにフォロー
- 即興で観客と掛け合いをし、緊張を解きほぐす
mochi-extendによるフィールドレポートでは、こうした“舞台裏の演出者”としての働きが丁寧に記されています。
■ 沖縄だけじゃない。チョンダラーは“本土”にもいる?
「伝統芸能」と聞くと、その土地でしか見られないものと思いがちですが、実はそうではありません。
◯ 大阪や北海道でも──沖縄文化のディアスポラ
アメリカの東アジア研究者Steve Rabson氏の報告によれば、大阪や北海道では「沖縄県人会」や「エイサー団体」が活動しており、チョンダラーもその一部として受け継がれています。
彼らにとってチョンダラーは、**“故郷とつながる道”**であり、“誇りの象徴”でもあります。
■ 甲子園で何が起きたのか?──“白塗りNG”の真意
2025年夏、沖縄尚学高校の応援団が披露した“チョンダラー風応援”に対して、高野連は「顔を白塗りにするのは控えるように」との通達を出しました。
高野連は、以下のような理由を挙げています。
- 高校野球は「教育の一環」であり、秩序ある応援が求められる
- 公序良俗に反すると誤解されかねない表現を避けるため
これに対して、沖縄出身者や文化人からは以下のような声が寄せられました。
- 「チョンダラーは歴史ある文化。白塗りは伝統の一部だ」
- 「子どもたちが自分たちの文化を表現しただけなのに…」
- 「なぜ暴力には甘く、文化には厳しいのか」
SNSでは怒りと悲しみ、そして文化への誤解を恐れる声が広がっていきました。
■ なぜ、こんなに炎上したのか?
今回の件で多くの人が抱いたのは、「自分たちの文化が軽視された」という強い感情です。
ここで起きていたのは、文化とルールの“交差点”で生じたすれ違いでした。
🌐 ルールは「誤解を防ぐため」の配慮
- 高野連の立場としては、「誤認や問題を避ける」ことが目的だった
- 過剰な規制というより、場の秩序を守るための最低ライン
🌺 文化は「誇り」としての表現
- チョンダラーは沖縄の生活や歴史と結びついた存在
- 単なるパフォーマンスではなく、「ふるさと」を背負っている
この二つが「正しさの衝突」となってしまったことで、単なる応援演出が社会的な議論へと広がってしまったのです。
■ 考察:文化は“目立つ”ことで誤解されやすい
今回のような文化的衝突は、実は日本社会のあちこちで起きています。
- Aさんにとっては「当たり前」の風習が、Bさんには「奇異」に映る
- 目立てば目立つほど、「わかってない人」に見られてしまう
これは、文化が広く知られるようになることで生まれる“摩擦”です。
でもその摩擦こそが、私たちにとっての「理解の入り口」になるはずです。
たとえば、伝統芸能の組踊(くみおどり)がかつては「わかりづらい」と言われていたのが、今ではユネスコ無形文化遺産に。
エイサーも、沖縄だけでなく全国の夏祭りで定番の存在になりました。
つまり、文化は「わからないから、排除する」のではなく、「わかる努力」をしたときにだけ、共に生きられるものなのです。
■ おわりに:道化の仮面の下に、誇りがある
チョンダラーは、ふざけて見えて、本気で地域を支える人たちです。
笑わせて見えて、実は裏で誰よりも汗をかいています。
そんな彼らの姿は、もしかしたら今の社会にも必要な“あり方”かもしれません。
- 自由を押しつけない
- 違いを笑って受け止める
- 場の空気を読みながら、ちゃんと自分を出す
それはまさに、チョンダラーが演じてきた「バランスの名人」の姿そのもの。